2024年7月19日、昭和45年北海道京極町で、当時の京極町農協の倉庫を改修して、外気を利用する本格的な低温倉庫の時代が幕開けした。当時の施設は何度か改修が繰り返されて現在はようてい農協京極支所の資材倉庫として利用されているが、当時の面影はまだ残されている。この日本で最初の定温倉庫には驚くべき逸話が残されている。北海道大学農学部農業工学科の堂腰教授は、北海道庁からの依頼でジャガイモの貯蔵改善に乗り出すことになった。その当時、ジャガイモの長期貯蔵は大変困難な作業であり、秋の収穫物が翌春までには多くが腐敗等によって失われて、ジャガイモの買い付けを行う業者は、このロスを見込んで秋には生産者から買いたたくのが常で、ジャガイモ生産農家の経済状態は悲惨なものであった。どのような課題であったとしても、最初に新しいことを実施するには勇気がいるもので、この定温倉庫の実験的な改修においてもそ「倉庫の中で風を回せば、病原菌が蔓延してさらに腐敗が助長するのではないか」などの否定的な意見もあったように聞いている。しかしながら、日本初の低温ジャガイモ貯蔵庫は順調に稼働して、ジャガイモの彫像期間は翌年の1月を過ぎようとしていたその時に、全道を揺るがすような大事件が勃発することになった。その当時、ジャガイモの貯蔵がうまくいかないのは「発芽のせい」と考えられたようで、ジャガイモ関係者は密輸された発芽防止剤をひそかに使用しており、それが明るみに出て、全道で相当数のジャガイモが農薬取締法違反ということで廃棄されることになった。いわく北海道中の川が廃棄されたジャガイモで埋まるほどであったと先生は話していた。この大ニュースを新聞等で確認して、堂腰先生は京極農協の担当者に状況確認のために、電話をかけることになった。先生の心配は「試験を行っているジャガイモに違法な農薬が使われているかどうか」であったが、幸いなことにそれには問題がなかった。しかし、京極農協でもそれ以外のジャガイモには違法な発芽防止剤を使用していた告白されて、担当者は先生に「(責任をとって処分されるのを)首洗って待っている状況です」との激白であった。それから春も押し迫った時に、さらに状況を確認しようと先生が再度電話する、意に反して担当者からは明るい返事が返ってきたという。曰く、「違法農薬を使用したジャガイモは廃棄せざるを得なかったが、全道中で相当数廃棄された結果、ジャガイモの相場が異常に高騰し、試験で貯蔵に成功したジャガイモが廃棄したジャガイモの損を完全に補って、逆に農協の組合長はもっと頑張れと励まされた」との報告であった。この事件と新しい貯蔵方式の成果は、京極町のジャガイモ生産者に強烈な印象を与えたようであった。それというのも、当時の京極町の生産者は収穫したジャガイモを一旦倉庫に収納して、選別したジャガイモを農協や業者に出荷する習慣となっていたが、生産者がその納屋に一時収納したジャガイモに小さなダクトで風を送ることが一般化しており、北海道でも京極町の生産者にしか見られない光景であった。京極農協はこのジャガイモ倉庫の新しい貯蔵方式に積極的に投資して、北海道で最も良い品質のジャガイモを遅い時期にまで出荷できることになり、京極町の男爵イモは北海道ジャガイモの最高ブランドの一つに成長することになった。後に農協の参事にまで出世した担当者は、この貯蔵方式を採用するようになって、生産者の手取りが倍になったと先生に説明していたという。ここで注目に値するのは、生産者が収穫直後のジャガイモを積極的に風乾していたことである。時は変わって、今日では生産者の納屋に保管する習慣はなくなってしまったが、ジャガイモの風乾の重要性は近年、株式会社TOMTENの普及によって見直されつつある。新しい時代には新しい時代の風乾の方法がふさわしいとして、ここでも古の改善の記憶がよみがえさせられて、品質に貢献するのは全く京極町で起きた事の延長上にあることとして、不思議なものを感ぜざるを得ない。